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『忠臣蔵 花の巻・雪の巻』のポスター
TOHO

忠臣蔵 花の巻・雪の巻

Chûshingura

1962 207分 日本語 NR
Wubly評価 7.2 IMDbの評価 7.5

“Japan's Supreme Screen Classic”

元禄十四年春三月、年々の慣例として勅使饗応の役を申し渡された播州赤穂の城主浅野内匠頭は、指南役吉良上野介から礼儀作法について教えをこうことになった。が、上野介は意味もなく内匠頭を嘲笑した。饗応の儀もあと一日という御勅答御儀の日であった。それまで抑えに抑えていた正義の剣は、殿中松の廊下で振りおろされた。内匠頭は即日切腹。早打駕篭は嵐をついて赤穂へ。赤穂城内では、大石内蔵助を中心に、城と共に討ち死にするか、城を明け渡すか議論が続いた。内蔵助は熟考の末、城を明け渡す断を下し、人数六十余名、誓紙血判をもって従った。山科の閑居に移った内蔵助は、廓遊びに明け暮れた。一方吉良家では用心棒を集めていた。廓遊びに耽る内蔵助は、妻りくを離縁した。母を見送る主税の顔にも、内蔵助の顔にも一筋の涙が光った。 ◇雪の巻--吉良上野介は、本所に新居を構えた。名を変え、職を変え江戸に住みついた赤穂浪人たちは、成就早かれと待機していた。俵星玄蕃が吉良家の用心棒になったという噂に堀部安兵衛は、酩酊した玄蕃を襲った。そしてからから笑う玄蕃にその本心を知った。お茶会の当日、赤穂浪人はそば屋の二階に集合した。二百名を数えた人数も今は数十名しかいない。深々と降り続いた雪は、深夜を真白に染めて吉良邸への道を照していた。総勢四十六名は死装束に身を固めて、表門、裏門から討ち入った。内蔵助の槍先には、この日を待たず武士の義に散った萱野三平の名札がしっかり結びつけられていた。門前には赤穂浪人遺言状と書かれた遺書が雪の中に立てられてあった。槍を片手に駈けつけた俵星玄蕃は、浪士の本懐を祈りながら、寄せ手を一歩も通さじと、宝蔵院流の槍をかまえた。

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キャスト

127人

Hiroshi Inagaki 監督 · Toshio Yasumi シナリオ

アメリカ合衆国での公開 1963年10月3日 · 製作国 日本

製作

T

TOHO

製作

日本

製作国

言語

原語

日本語

作中の言語

日本語

公開日

日本 · 1962年11月3日

劇場公開

アメリカ合衆国 · 1963年10月3日

劇場公開

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